万年筆倉庫 - 蒔絵万年筆 -

始めは1本の万年筆でしたが15年たった今、気が付けば1万本以上のコレクションになりました。 ただ書くための道具ではなく、美術工芸品としても価値がある蒔絵万年筆の事を知ってもらいたい。

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蒔絵万年筆の誕生

並木製作所誕生   ダンヒルナミキ広告


【蒔絵万年筆の誕生とダンヒルナミキ】

■1918年(大正7年)
 パイロットの前身である並木製作所は並木良輔と和田正男によって大正7年に創立される。
14金ペンの製造に成功した並木良輔はペンポイントの加工が難しいイリジウムという金属の加工方法をも開発した。この年、初の純国産万年筆が誕生する事となる。
 しかし当時、万年筆の軸はエボナイトという硫化ゴムが使われており、この材料は照明で1週間もすると茶褐色に変色してしまい、艶もなくなるという欠点があった。 
そこで並木製作所は、エボナイトの軸に漆(うるし)を塗る事を思いつき、変色を防止させる事に成功した。 それを「ラッカナイト」と称し日本・米・英・仏の特許を取得し、パイロット万年筆の評価を高めたとされている。

■1924年(大正13年)
 その頃欧米では金銀で細工をしたきらびやかな万年筆が製造されていた。
並木は金銀細工に対抗すべく、日本の伝統工芸である蒔絵を施し高級万年筆として欧米にも販路を広げた。 
蒔絵とは、うるしで模様を書き、乾かないうちに金属の粉や色のついた粉をつけて模様を表す方法で、うるしが糊の役割をし、金粉を蒔く事から蒔絵と言う。
 並木製作所は大正13年に蒔絵万年筆の製造を開始し、大正15年には、ニューヨーク・ロンドン・上海・シンガポールの4ヶ所に支店を出した。

■1927年(昭和2年)
 その後 並木製作所は昭和2年に初めてダンヒル社と接触し、パリダンヒル社との仮契約に成功した。
さらに1930年(昭和5年)ダンヒル社との正式販売契約が締結された。
この時ダブルネーム「ダンヒルナミキ」として販売する事となった。もちろん販売先は海外である。
しかし、戦争によって昭和13年頃でその生産は中止となる。
よって、ダンヒルナミキとして蒔絵万年筆を製造した期間は、たったの8年間である。
現存している当時のダンヒルナミキは世界中で2000本位ではないかと言われている。
絶対数が極端に少ない為、希少価値が高いのである。
海外のオークションでダンヒルナミキが1000万円以上で落札された事もあるくらいだ。

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